高江市民特派員報告

 のりこえねっとが9月9日に「ないちゃー大作戦」で、市民特派員の公募を行ったところ、30名ほどの問い合わせ、応募があり、16名が9月16日~12月17日まで派遣を行うができた。

 各特派員の報告は、順次掲載します。

【報告1】「無法地帯」、そんな言葉が浮かんだ沖縄

【報告2】「歩行訓練ルート」を確かめに行った

【報告3】映画「標的の村」を見てスイッチが入った

【報告4】ダンプの荷台に乗った機動隊員を目撃

【報告5】山城博治さんが逮捕された

【報告6】ツイキャスの視聴者数延べ8,603人

【報告7】俺の高江、みんなの高江

【報告8】当たり前の報道が少なすぎることは、やはり異常事態

【報告9】高江特派員として2回訪れました

【報告10】私は私の非暴力の対話を続けていく

 


【報告1】「無法地帯」、そんな言葉が浮かんだ沖縄

 のりこえねっとから頂いた補助金で訪沖したのは、高江のオスプレイパッド“工事終了”が予定される前後の12月9日〜17日だった。

 9日夜、那覇に入る。10日朝5時に県庁前を出発する沖縄平和市民連絡会が手配してくれた大型バスで高江に向かう。NI(エヌワン)ゲート前(「Voice of TAKAE」参照)での午前8時からの前段集会に続き、午前中に開催されたオスプレイパッド建設に反対する抗議集会には700名が参加(主催者者発表)。

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 沖縄平和運動センターの発言に続き、沖縄平和市民連絡会共同代表の真喜志好一さんは、初めての参加者にも解りやすく1995年の少女暴行事件を契機に設置されたSACO合意の本質から現状の課題までを解説。

 「ヘリパッドいらない住民の会」の伊佐真次さんは、「当たり前に静かに暮らしたいだけだ。沖縄防衛局は2012年に行ったヘリパッド建設に対する説明会で、オスプレイが使うときは説明すると言ったのに未だに説明がない。だから私たちは説明を求めて座り込みをしているだけだ。2016年の6月にオスプレイ3機が連日夜遅くまで訓練したときには体調を崩した子どもが登校できなくなり、一時避難したこともあった。引っ越しを考えている人も出てきている。また、北部訓練場には県民の水瓶・ダムもある。みんなでがんばろう」と発言。この日を中心に、東京や大阪など全国37ヵ所でも同様の集会が開かれた。

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 高江の後は、名護署への抗議と長期拘留されている仲間への激励行動だ。若者たちのアクション「くつしたdeアクション」に合流し、「靴下は人権」などと、前代未聞の靴下差し入れ拒否に対する抗議行動を賑やかに行った。鎌田慧さんが東京新聞のコラムに、このことを書かれている。

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 12日、山城博治さんたち4人の「勾留理由開示」が那覇の簡易裁判所で行われた。10月だったか、初めて博治さんの「勾留理由開示」が行われた時もその場にいたが、その時は12名の傍聴席しか確保できなかった。しかし、今回は一人毎に傍聴者を入れ替える(傍聴者が4倍になる)、余った記者席にも傍聴者を入れるなど、対応がよくなっていた。そこが沖縄の運動のすごさ、少しずつ事態を切り開いていくのだ。

 私は博治さんの時に傍聴させてもらった。さすがに、2ヵ月にわたる長期拘留の疲れがにじみ出ている。いちゃもんをつけているとしか思えないような罪での逮捕・拘留が続く中での今回の逮捕理由は、今年1月にキャンプ・シュワブのゲート前に1486個のブロックを積み上げたというもの。当時、ゲート前で座り込む人たちへの、あまりにもすさまじい機動隊の弾圧に対し、側にあったブロックを座り込む人々の代わりにゲート前に積んで工事車両の進入を阻止したのが始まりだ。その時には何も言わなかった警察が今頃になって逮捕したのだ。

 そして、長期拘留の理由とは、共謀の内容など罪証隠滅の恐れがあるというもの。弁護士以外の接見禁止、体調が悪化している博治さんらへの靴下差し入れ禁止という前代未聞の対応を続けていた。

(現在、「山城博治さんらを救え」キャンペーン「山城博治さんたちの早期釈放を求める会」など、早期保釈に向けた運動が展開されている)

 昼間に私用を済ませた13日夜、大浦湾を挟んだ辺野古の対岸にある安部(あぶ)集落近くの海岸にオスプレイが墜落した。2機のオスプレイとCH53ヘリ一機が空中給油機から給油を受ける訓練中だったとか。そのオスプレイ2機が事故を起こしていたことが判明。安部に墜落した機とは別のオスプレイも普天間飛行場で胴体着陸していたのだ。その2〜3日後には、嘉手納基地でもクラスAの重大事故が起きている。

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 翌14日朝5時、県庁前を出た平和市民連絡会のマイクロバスは満員だ。この日も集中行動日なので、午前中はダンプが入らなかったが、集会終了後の人が少なくなった頃、砂利を搬入されてしまった。私たちがオスプレイの現場に向かう途中に、そのダンプの列を目撃。人数が欲しい。

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 今回の墜落事故について安慶田副知事が在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官に抗議を行ったところ、「住 宅や県民に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ」と不快感を示したというニュースが大きく流れたことは記録しておこう。

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 15日は、朝9時県庁前発の平和市民連絡会紹介の個人車に乗せて頂く。11時過ぎに高江に着いたが、N1ゲートの手前で50分も足止めされてしまった。砂利を積んだダンプやトレーラー十数台をN1ゲートから搬入するためにだ。荷台が空になったダンプが目の前を通っていく。ということで、あまり役に立たなかった。しかし、人数の少ないときの参加する意味は大きいと思う。

 この日で工事終了と発表されているのに、50台以上のダンプで砂利が搬入された。工事が終了していない証拠だ。ずさんで安全無視の工事は見せかけの完成でしかない。道路は泥を付けたままのダンプが連日数十台〜100台以上出入りすることで土埃がひどかったが、散水車と竹箒などで清掃していた。翌日の引き渡しへの準備だろう。

 16日、朝6時に那覇を出て平和市民連絡会紹介の個人車に乗せて頂く。8時過ぎに高江に到着。N1ゲートから15日に運び込んだ砂利がどうなっているのかを見に行くのに同行させてもらった。ものすごい量の砂利はそのまま基地内に積まれており、工事が続くことは間違いないだろう。

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 お昼頃、ダンプに積んだ重機や簡易トイレなどが搬出され、私たちが基地内に入っている間に引き渡しも終わったようだ。お昼過ぎには装甲車も引き上げ、監視活動の数人を残し、私たちも引き上げて安部のオスプレイ墜落現場に立ち寄った。

 安部の浜辺への出入り口は大きな米軍車両が駐車しており、人が通るのもやっとの状態。その出入り口近くの砂浜に敷かれたブルーシートには墜落したオスプレイの破片が並べられ、その周りを機動隊が2メートル位の間隔で護衛(?)している。それにしても、日米共に雰囲気が緩い。もしかしたら自分たちの部落に落ちたかも知れない、大潮だったので時間がずれていたら夜間漁に出ていた人の上に落ちたかも知れない、目には見えない汚染があるかもなどといった、住民の不安・恐怖など、まるで感じていないようだった。

 以上が大まかな行動報告だ。「無法地帯・沖縄」、そんな言葉が浮かんだ9日間だった。

 私が沖縄を離れた12月17日、キャンプシュワブゲート前ではオスプレイ墜落抗議集会が開催され、900人が参加したという。オスプレイの墜落6日目にして飛行が再開された19日、嘉手納基地でも哨戒機P8が重大事故を起こしている。20日には、翁長知事が行った辺野古の埋め立て承認取り消し訴訟で県の敗訴が確定。それを受けて、県は承認取り消しを取り消して、辺野古の工事が年内にも再開されることになった。

 そのような中、22日には北部訓練場過半の返還式典が仰々しく開催された。翁長知事は欠席、「欠陥機オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」に参加した。

 12月29日、琉球新報電子版一面トップに、「辺野古新基地 沖縄県、埋め立て撤回視野 法的根拠積み上げ」の見出しが掲載された。辺野古新基地建設を阻止する次の手として、承認の「撤回」に踏み切ることを視野に、その法的根拠を積み上げる作業に着手したという。新年早々から、辺野古での工事再開をはじめ、大変な闘いがまだまだ続く。

 共に!

【参考になると思われる情報。ごく一部ですが…】

 


【報告2】「歩行訓練ルート」を確かめに行った

 11月、高江に行った。

 1日目は、N1表でトラック搬入の抗議行動に参加。この日は休日のはざまの平日で参加者が少なく、座り込んだがあっという間に機動隊に抜かれてしまった。次々とトラックが入り、ものすごい埃が舞い立つ。工事人はゲート付近には水をまくが、道路には一切まかない。抗議の市民はもちろん、機動隊員もマスクなしでは立っていられないほど。搬入のトラックは荷台の壁面をつぎ足していた。積載に問題はないのだろうか。

 この日行動をともにした現地の方によると、最近は機動隊の青年たちの態度に一定の変化が見られるそう。以前の乱暴さが少し鳴りを潜め、こちらの話にも少しは聞いているようだと。おそらく例の差別発言から態度を変えざるをえなくなったのではないかとのことだった。

 3日目はG地区あたりの山に入る。「歩行訓練ルート」。聞きなれない、その道を確かめに行った。

 「歩行訓練ルート」は海兵隊のために山道を整備し川に橋を渡し、階段を設置するそうだ。それで訓練になるのかと訝しく思う。幅3、4メートルくらいでビニールテープが張られているのは、道ができるところ。あちこちに「ヘリ1」「ヘリ2」等、謎のメモ書きのテープが貼られている。ヘリパッド以外に何か作る気だろうか。「ルート変更」と書かれたものも。まだルートは模索中らしい。市民が見ていないところで着々と進んでいる。だから、けもの道を這うようにして山に入り撮影し、監視し、拡散する。

 険しい斜面から宇嘉川の河口まで降りる。本当に美しい海と沢だった。ここも上陸作戦訓練場になる。そうなったら市民は二度と来られない場所になる。山ごと川ごと海ごと基地になってしまう。

 来月、北部訓練場の「返還式」があるそうだ。新たに奪うものを隠しながら。

 ヘリパッド工事は年末までが山場だが、歩行訓練ルートはおそらく年度内くらいはかかる。まだ闘いは続く。

 


【報告3】映画「標的の村」を見てスイッチが入った

「標的の村」という映画の上映会で初めて高江のことを知り、その後に機動隊がヘイトスピーチをする動画を見てスイッチが入った。

 それがテレビでも放送された影響だと思うけど、言葉だけは丁寧でカメラのないところでは抗議をしている自分の足を踏んできたり、肩でグイグイ押してきたりしてました。それでも沖縄県警はまだマシで大阪府警や福岡県警はヘラヘラ見下した態度で抗議の人を邪魔してきます。彼らも仕事で上司が決めたことを遂行するように仕込まれて来てるわけだから当たり前なんですけど、正当な理由もなく、抗議する自分に5人がかりでしがみついてくるのは訳がわかりません。

自分の目で確かめましたが、抗議している人は非暴力、非服従です。

 抗議している側が激しい言葉で機動隊を叱り飛ばしていることもあるけど、これはヘイトスピーチではないです。機動隊は国家権力と物理的にも政治的にも圧倒的に優位に立っていて、その人間が土人だのシナ人だのと抗議する人間を揶揄していて、こちらの人間はいいかえしますよ。土人という言葉を放った人間を批判しないで、「抗議している人も言葉が汚いので反省すべきだ」というパターンの言説は嫌というほど見ましたが、全然だめですね。そういう人こそ反省してほしい。

 抗議は憲法で保証された権利だし、沖縄の人の抗議の言葉が汚いなんて全く思わなかった。東京でヘイトデモに対するカウンターなんて、機動隊があんな理不尽なことしたら、もっと猛烈に抗議しますよ。

植民地扱いは変わらない

 11月3日には地元の方の案内でH地区という、やはりヘリパッドが作られているところを見に、山の中に入りました。「標的の村」にもでてきて、昔、中学校の先生に話して貰ったことを思い出したんですけど、ベトナム戦争のときに米軍が訓練のために高江の住民にベトナム兵の役をやらせて、それを標的にしたりしてたんですよね。高江の森は熱帯の森なので、本当にジャングルみたいです。ベトナム兵の役をやらされている時代から40年以上経っているのに、構造はまったく変わってないんですね。流石に兵士の役をやらされたりはしないだろうけど、植民地扱いは変わらないですね。いまも住宅を囲むようにヘリパッド造ってるわけだから、村自体が訓練のために、家も標的として使われてるのと同じなんですよ。

 ヘリパッドが造られてる手前に有刺鉄線というか、対テロ対策で使われる、鋭い歯がついて、螺旋状の鉄線を切ったら回転しながら人を傷つけるという罠が仕掛けてありました。抗議する人をテロリスト扱いですよ。それだけ抗議している人を脅威に感じているということですが、本当に人が死んだらどうするんでしょうか。ネトウヨとトロールは抗議している人が悪い、自業自得だとか言うに決まってるんですけど、自称リベラルの 知識人やメディアは黙るか、それみたことかと発言し始めるんでしょうか。

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 当然ながら罠を避け、Hという場所を網状の防風ネット越しに見るとディーゼルエンジンと土を固める機械の音がしました。抗議の人が現れると、待ってましたとばかりに防衛局と後ろ手に手を組んだ機動隊20人位が、こちらを監視し始め、沖縄県警がビデオカメラで抗議の人を撮影し始めました。ここは地盤がゆるいとかで、固める工事をするために、滑りやすい赤土の斜面にキャタピラの付いたシャベルカーで穴 を掘っているんですけど、そのすぐ下で人が地盤を固める作業していて、かなり危険なことしてるなと。

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 首相が所信表明演説で年内にヘリパッド完成させると言ったので、焦っているんでしょう。抗議の人が指摘するまでバイク用ヘルメットを被っていたとのこと。抗議側に、沖縄防衛局の人が「ここは立ち入りが許可されていません、直ちに立ち去ってください」と、トラメガでアナウンスしてました。その人は何故か関西弁だったので、「高江の人は工事許可してへんで。あんたらが帰ったら俺らも帰るわ。なんなら一緒帰ろうぜ」と言ったら黙ってしまった。

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【報告4】ダンプの荷台に乗った機動隊員を目撃

 10月11日午後、博治さんたちと一緒にN1ゲート奥の砕石集積場への偵察に向かった。その際、問題になっているダンプに乗った機動隊員たちが博治さんと自分たちの目の前に現れた。最初は砕石を積み込むために走ってきたのかと思ったら機動隊員たちが20人ほど乗っていて一瞬目を疑った。

 博治さんと共にダンプの荷台に乗った法律無視の機動隊員たちに抗議を行った。

 14日、博治さんと共に土曜日の大集会に向けてN1奥の砕石集積場所への進入路の草払いをしに山に入った。途中でのちに土人発言をすることになるあの大阪府警の機動隊員が女性の首を絞めるという暴行事件が発生した! 機動隊員が5人くらいで取り囲んで、搬入してきたダンプの動画を撮ろうとしていた女性を狙ったものだった。気づいて大声で「首を絞めるな」と叫びスマホのカメラを向けたら、そそくさと仲間の機動隊員たちの隊列の奥に逃げて行った。本当に卑劣な奴だ! 絶対に許すことができないと思う。


【報告5】山城博治さんが逮捕された

10/17

 人が多く集まる水曜日の大行動で、森の中の砂利作業現場の柵を取り囲んで抗議をしたい、今日はその下見をしたいのだという。迷わず志願。十数名の仲間とともに森の中へ。

 ここからの顚末は現地の運動体からの正式なアナウンス、地元新聞社の報道を参照してほしい。

 (注:10月17日、山城博治さんが北部演習場内の有刺鉄線をペンチで切断したという容疑で逮捕された)

 正直、自分も任意の取り調べ程度は覚悟した。山城さんの怒り、憤りを目の当たりにして、悲しささえ感じた。彼がどれほどのことをしたというのか。本当に罪に問われなければならないのは誰なのか。守り切れなかった悔しさも。本当の怒りを目の当たりにした。

 東京の関係者に事の顚末を一報入れて名護署へ向かう。仲間が拘留されてから毎日抗議は行われている。予定に入れてはいたが、こんな形になるとは。

10/19

 メインゲート前の水曜大行動とは別の作業ヤードへの抗議行動に参加。こういった散発的な行動を仕掛けることで大集会への機動隊配置を分散させるのだ。二隊に別れて作業ヤード右側左側から山道に入る。防衛局から「退去のお願い」をされるが山道に彼らは入ってこない。足元に気をつけながら黙々と歩いてヤードを取り囲み、抗議の声を上げる。時折雨。強いときは少し広いところに集まりやり過ごす。無理はしない。柵の中ではダンプが走り土砂を落として重機が慣らす。どうやら土砂は自然の土砂ではなく、コンクリを砕いたものが混じっているようだ。大声で指摘する人、写真で記録する人。ダンプの整備不良も見られる。

 要は、市民が指摘、抗議しなければ管理が杜撰なままなのだ。工事を急ぎたい防衛局側の焦りが背景にある。柵の外側、森の中に工事作業用のゴミがいくつか落ちていた。これが国策工事の実態かと呆れる。

 


【報告6】ツイキャスの視聴者数延べ8,603人

沖縄高江について今回は、12/2から12/10までの訪問でした。

  • 12/2
    • 夕方の名護署抗議行動に参加しました。
  • 12/3
    • 土曜行動に合わせてN1表に入りました。
    • 夕方にヒロジさんが居る名護署へ抗議の声を上げました。
  • 12/4
    • 搬入休日なので辺野古・沖縄市へ出かけました。
  • 12/5
    • 月曜行動日、N1表ゲートからの砕石搬入は終日防げました。
    • 「土人」発言の大阪府警機動隊の規律低下の居眠りも確認しました。
    • 夕方から名護署でヒロジさんに接見した弁護士さんのお話が聞けました。
  • 12/6
    • 早朝のアカ橋行動に参加してN1表に到着しましたが参加者が少なく
    • 午前中に60台の砕石搬入を許してしまいました。
    • またトラック2台の手すり資材の搬入されてしまい残念でした。
    • 耐えられなくなってお昼過ぎにN1表を離れて高江売店でこころを休めました。
    • あとで聞くと午後も60台の砕石搬入されて1日120台の砕石搬入を許したとのことでした。
    • 夕方から名護署での抗議行動に参加しました。
  • 12/7
    • 水曜抗議日。早朝のアカ橋行動に参加してN1表に到着
    • お昼過ぎに高江を離れ宜野湾署に向かいました。
    • 宜野湾署で日志会の妨害を体験しました。
  • 12/8
    • 沖縄県議会を傍聴して沖縄県庁前抗議行動に参加しました。
  • 12/9
    • 今日も沖縄県議会を傍聴しました。
  • 12/10
    • 土曜行動日の午前中が最後の高江になりました。

【ツイキャス視聴者数】

  • 12/2:239 = 23+27+55+78+56
  • 12/3:1,889 = 77+431+479+84+421+194+203
  • 12/4:201 = 108+93
  • 12/5:1,312 = 268+531+434+79
  • 12/6:1,269 = 46+133+905+185
  • 12/7:2069 = 197+416+507+152+227+570
  • 12/8:616
  • 12/9:210
  • 12/10:798

延べ視聴者数:8,603人

 


【報告7】俺の高江、みんなの高江

 高江に行きたい。そう思い始めたのは、テントが撤去された頃からでした。

10月30日(初日)

 那覇へ。高江には何度も来られている友人たちと打ち合わせをしました。

10月31日(行動1日目)

 4:00に起床し、集合場所の赤橋(高江の手前)には6:00前に到着。

 到着するとすでに市民の皆さんが15名ほど来られていて、友人達は遅れるとの連絡があり、来て早々どうすればよいか少し困惑気味でしたが、近くに居た方にご挨拶して、どう行動すればよいかお聞きしました。

 いきなり目に飛び込んできたのは、ネット上などで物議を醸した市民による通行車両の検問といいますか、工事関係車両のチェックと追い返しの場面に。

 友人からやっていい事、控えた方がいい事の事前確認をするはずでしたが、それが出来ずに目の前ではいろんな事が進行していき、今回は「見て、知って、伝える」気持ちで来ていたので、まずはその現場を写真撮影に。

 その後、警察車両、機動隊のカマボコ車が到着し始めて、事態は急変していきました。動画や画像で見ていた場面が次々に。twicas配信と動画収録をスタート。

 あっという間に機動隊員が50名ほど現れて、市民1人に3~4人で排除し始める。友人達も到着し、追いやられないように散らばりながら行動。

 砂利を積んだダンプカーが赤橋方面に向かっている仲間からの連絡とともに、坂の上で控えていたカマボコ車から、機動隊員の軍団が小走りに走ってこちらに向かってくるのが見えました。

 ここから本格的な市民弾圧が始まりました。背丈150センチ無い細身の年配女性に、筋骨隆々の機動隊員が4人がかりで体に手をかけて抑え込む、橋の手前の三角地帯に追いやり、蓋をするように機動隊員が横一列で封鎖して、倒れ込む市民を一人の機動隊員が蹴り上げる場面を目撃したり、

 冷静を装って配信をしていましたが、ここは一体どこの国なんだろう? 高江ではこれが日常的に行われている事を、活動初日の朝一番に見せつけられて、かなりの衝撃を受けたので、後に色んな場面に出くわしますが、私の一番衝撃的な記憶に残る場面となりました。

 因みにこの時は、TBSのテレビクルーも撮影で来ており、佐古キャスターがこの場面をレポートしていました。メディアが来ていたので、いつもよりは手加減した状態だと後で聞かされましたが、それにしても異常としか思えない時間でした。

 その後は、ダンプカーの通行を少しでも遅らせるためのサポートを行いました。市民の車は点在して停車し、警察による規制が入りそうになると移動する。その繰り返しの中で、時計の針は刻々と時を刻んでいきます。結局は先導する警察車両とダンプカーを通すことになるのですが、検挙されるすれすれのところまで時間を稼ぐ。日々のこの小さな努力が、工期を遅らせることになる。今日は作業を3時間以上遅らせることが出来たとか。

 その後、一部有志の人達と名護署へ向かい「仲間を返せ!集会」にも参加&配信。山城博治さん達への激励行動でしたが、参加者による代わる代わるスピーチ、博治さんが好きな歌を流したり、居るであろう場所へ大声で呼び掛けをしたり。友人の大きな地声に反応なさって、手を振る影がハッキリと見えました。こういう時は1人にしてはいけないんですね。仲間の優しさに触れる一場面でした。

11月1日(行動2日目)

 今日は7:00に赤橋集合。採石場の仲間からの連絡で、ダンプカーが採石場を出て北回りで高江に向かっていると。30分もすれば目の前をダンプカーの車列が通過する。

 赤橋をM1ゲート方面にUターンしてしばらく行ったところで、バックミラーにダンプカーの隊列を発見。時速20キロの低速運転に切り替え、真後ろの警察車両とのにらみ合いとなる。1分でも、1秒でも工事を遅らせるために、運転、twicas配信、連絡役を分担し、三人で息詰まる攻防戦に突入。

 しばらくすると警察車両の1台が痺れを切らせて私たちの車両の前に出てきて、停まれの指示に従わざるを得なくなる。5分か10分か、もう少しだったのか、極度の緊張感の中だったので、どれくらい遅らせることが出来たかは定かではないですが、高江に来て初めて自分たちの実力行使をした行動に、少なからず貢献できたのかなと思うひと時でした。その後は免許証開示で一悶着はありましたが、結果として身分を明かさずに凌ぐことが出来ました。

11月2日(行動3日目)

 この日は午前中、県道70号線でのダンプカー隊列阻止活動に参加。片側一車線の道の両方の車線を普通車が通れる程度、ダンプカーが通れないように駐車して、機動隊に身柄構想されないように分散しいて車両から離れて待機。しばらくすると機動隊により、車輛を移動されてあっさり一列に並べられてします。市民は抗議のために機動隊から一定の距離を取りながら断続的に移動を繰り返し、ダンプカーの隊列が迫るのを待つ。

 機動隊が増員され、N1ゲートへの砂利のピストン輸送が始まる。ダンプカーに対して抗議しようとする市民1人に対し、機動隊3~4人体制での圧力が強まり、プラカードもろくに掲げることが出来ない状況に。その後も同じ繰り返しに、なんとも虚しさを覚える。

 そんな中、ダンプカーの隊列を待つ時間に、突如としてやんばるの森で青空オセロ大会が始まり、場の空気が少し和らいだのが印象的に。普通の市民による、普通の気持ち、普通の抗議として。

 昼食を挟み午後は山に入ることになる。H地区とG地区の2チームが編成されて、私はG地区チームに。パイナップル畑の脇から山沿いに、市民有志で切り開いた険しい道を行くこと約40分くらい。

 途中で自然豊かなやんばるの森の木々や小川を感じながら、

 改めてこんな場所にヘリパッドなんていらない!

 そう強く思いながら、足元が不安定なアップダウンが険しい道を目的地まで進む。突然目の前が広がり、G地区に辿り着いた。あまりの無残な状況に、しばらく言葉も無かった。目の前には警備会社、防衛局の職員が私たちを威嚇するかと如く、横一列にズラッと立ち並ぶ。リーダーより現状報告や労働環境に違反する行為などの説明を受ける。

 足元には伐採された木々が粉砕されて、惨たらしい木屑となって積み上げられており、その柔らかさに足元を取られながら移動して、現場を見て回る。奥の方には、この後開拓されてしまう歩行訓練ルートが存在した。何とも言えない気持ちになる。

11月3日(行動4日目=最終日)

 この日は最終日で、まだ行けていなかったN1ゲートの行動に午前中参加。この日はTBSとドイツのテレビ局が撮影に来ており、そのせいなのか機動隊の対応が控えめのようにも感じた。

 市民のリーダーより全国から駆け付けた参加者に対し、これまでの事、現状報告、機動隊による排除についてのレクチャーがなされる。ほどなくして機動隊の数と動きが増え、ダンプカーが砂埃を巻き上げながら到着。座り込みをする市民の排除、排除されながらも思い思いのプラカードと声で、工事に対する抗議の声が飛び交う中、すんなりとゲートに入っていくダンプカーの隊列。砂利を下ろし終えて出て行き、またピストン輸送で舞い戻るダンプカー。これでいいわけない。

 午後からはフライト前の数時間、高江の海辺など各所を回って過ごす。自然豊かな素晴らしい場所であることを改めて実感したひと時を過ごし、4泊5日の旅を終える。

 このようなことが認められる今のこの国の在り方、それすらも知らない人達が沢山居て、沢山返還されるなら仕方ないでしょうと、他人事のように言う人々も。抗議、反対する人達を非難するような論調、真実を伝えようとしない大手メディア。いつからこんな国になったんだろうか。

 この旅で見て、知ったことを、自分なりに伝えていけたらと思う。まずは手始めに、自分の関わる市民活動の場で、街行く人達に伝えたい。自分の画像と映像と、そして自分の言葉で。


【報告8】当たり前の報道が少なすぎることは、やはり異常事態

 11/8 朝、「さっきまた逮捕者が出たらしい」との連絡を聞きながら関西空港を発ち、那覇到着時にそれが本当だと知った。

 ヘリパットを反対していた以外の逮捕理由が明確にわからないことにどうしようもなく不安な気持ちのまま、高江に向かった。

 加えて、まだ20代の学生も同行していたので、注目されがちな彼女らがあとで揚げ足を取られることのないよう、とにかく安全に高江の様子を見て回り、無事に家に返すことを優先して考え行動する3日間の遠征となった。

 今年に入って3回目の高江で、初めてののりこえネット特派員としての派遣。もっと活発にリポートをしたかったのだが、思うように行動できずに、ただ悔しさを持ち帰ることになったのが正直なところだ。

 ちっぽけなことではあるけれど、正義を貫き堂々と戦うことと、他の人に火の粉が当たらないよう行動することとが、なぜ今一致できないのか。この国で平和に暮らす為にはどうしたらいいんだ。そんなことをリアルに考えさせられる状況だったように思う。

 N1表テントでの水曜阻止行動に参加した時のこと。高江区議会で過去8年間分のヘリパッド工事での迷惑料を受け取る決議が全会一致でされた翌日だったため、苛立ちと疑心に渦巻いたような空気だった。(高江区議会は引き続き、ヘリパット建設に反対の意思表示もした)

 とあるスピーカーの方が「お金を一円でも受け取ったらヘリパッド工事を肯定することになってしまう。断じて私は理解できない。」との主旨で、感情を押し殺しながらも怒りに満ちたお話をされたところ、「そうだー!」のコールバックに一帯が包まれた。

 私は違和感を感じざるを得なくて、思わずその場を離れ、知人に「私おかしいと思うんだけど、どう思う?」と投げかけてみたところ、「そんな意見初めて聞いた」と返されたことに驚いてしまった。

 「ヘリパッド建設は迷惑の塊だ。もっと金よこせ。さもなくば今すぐ中止しろ。」

 そんな運動が起こらないのは世界中で日本くらいなのではないか?と思ったからだ。

 お金に清潔で情ある人間性を保っているのは市民ばかり。その足下を見て利用してくる日本政府のやり方に、そのまま乗っかって分断されるのはもうごめんだ。でも、あきらめずに、しぶとく行くしかない。

 そんな話を水曜集会の人前でする勇気までは持てなかったが、その後に行った高江の集落に住む友人宅で、この話を美味しいご飯を囲みながら話せたのが、2016年の私の限界なのかもしれない。

 同時に、高江集落に住む人たちにとって、この戦いは休みなく毎日続いていることなのだと、恥ずかしながらあらためて知れた気がした。

 私が高江に行く理由のほとんどは、そこに吸いたい空気があって、見上げたい天の川があって、わざわさ耳を澄まさなくても聴こえるくらいの虫たちの大合唱があって、会いたいオトナたちの存在と、その子どもの笑顔がある場所だから。

 仮に、新たなヘリパッドが本当に必要なのであれば、地元住民を蔑ろにするような乱暴な工事の進め方をするべきじゃない。自然と共生する大切さを知っている人たちの傍の木々を無闇に切らないで欲しい。止むに止まれぬ想いでそれぞれ手弁当でやってくる人たちを「反対派の活動家」と括らないで欲しい。

 大切な人たちが住む、素晴らしい土地 高江を「国家権力と市民との紛争地域」にしないで欲しい。

高江から帰ってから思うこと。

 基地問題/ヘリパッド建設の是非についての賛否は、もしかして個人個人で意見が別れるかもしれないけど、せめてマスコミがもっとちゃんと報道してくれたら。。そう強く思うし、たったそんな当たり前の報道が少なすぎることは、やはり異常事態だと感じます。


【報告9】高江特派員として2回訪れました

 10月2日〜4日と11月8日〜11月10日の2回、のりこえねっとの高江特派員として高江に行ってきました。

 まずは10月の報告です。

10月2日

 那覇空港について、レンタカーを借りて最初に向かったのは高江ではなくて、ひめゆりの塔とひめゆり平和記念館。平和記念館には沖縄戦の犠牲者の遺品や体験者の体験談など貴重な展示物がたくさんあっるのですが、沖縄の米軍基地の問題を考えるのに沖縄戦で何があったのか知ることはとても重要だと思いました。その後、高江に向かったのですが、到着したのは夕方。今回はちょうど大型の台風が来るという予報があったタイミングだったので、抗議行動もなく防風対策でテントもほとんど撤去されていました。その後はすることもないので、宿に戻って1日が終わりました。

10月3日

 夜に台風が直撃する予報だったのでこの日も抗議行動はなし。残っていたテントの撤去作業の手伝いをして、宿に戻って終了。

10月4日

 この日も抗議行動はなし。テントの設置作業を手伝いたかったのですが、飛行機の時間もあるので手伝えずに帰路。

 こんな感じで、10月の高江訪問は台風の影響で抗議行動には全く参加できませんでした。台風がきたら工事も止まるし抗議はなくなるのですが、テントの撤去・設置でなんだかんだで大変なんだなというのは実際に見るまではあまり気にかかっていませんでした。あとは、テントの撤去を手伝った時に、地元の青年が機動隊の人たちと雑談していたのが印象的で、いろいろ考えさせられました。

 次に11月の報告です。

11月8日

 昼に那覇に着いてレンタカーを借で、今回もすぐに高江に向かわずに、平和記念公園へ。ここには沖縄戦で亡くなった方の名前が”国籍を問わず”に刻印されている平和の礎と呼ばれる石碑があって、アメリカ兵士、イギリス兵士、朝鮮半島の人たち、沖縄の人たち、本土の人たち、戦艦大和の乗組員、亡くなった人の立場に関係なく記録されています。沖縄戦の体験者の言葉が刻まれた石碑も印象的でした。それから、ひめゆりの塔の近くのサトウキビ畑の先にひっそりとある第一外科壕を訪れました。戦火に追われたひめゆり学徒たちが避難し、戦傷兵の看病をし、多くの方が犠牲になった場所です。ひめゆり平和記念館で読んだ体験談を思いだしながら、「ほんとにこのまま沖縄に基地を押し付け続けていいものなのか、本土で基地を引き取るなどして少しくらいなんとかできないものなのか」そんなことばかり考えてしまいました。その後、道の駅などに寄り道しながら高江に向かったのですが、到着したのは夕方。何回も高江や辺野古にきているのですが、抗議の現場以外の沖縄を見るのも大事なことだと思っているので、初日は毎回こんな感じになってしまいます。夜は高江に住む知り合いとご飯を食べながらいろんな高江の状況を聞かせてもらいました。

11月9日

 この日は朝からゲート前で座り込みの抗議行動でした。雨が降ったいたこともあって、寒いし、なかなか辛かったです。沖縄の人たちはこれをずっと続けているのかと思うと、毎回、ほんとうに頭が下がります。でも、この日は抗議の人も多くて、ダンプを通さないで終わりました。その後は、不当に拘束されている人たちがいるので名護署へ行ったりもしました。

11月10日

飛行機の時間もあるので、抗議には参加できずに帰路。

 11月の訪問はこんな感じでした。できれば1週間くらい休みを取って行きたいのですが、仕事の都合で3連休を取るのがやっとなので、いつも、「何もできなかった」と思いながら帰ることになってしまいます。それでも、自分が高江に行くのは、抗議の人数が少ないと阻止できない工場用の砂利を積んだダンプの搬入を、抗議の人数が多いと阻止できるのを自分の目でみているからだし、本土に住む人間として、沖縄の人たちの反対の声を無視して、沖縄に米軍基地が押し付けられるのをこのまま黙って見過ごすのは嫌だからです。以上。大した報告はできませんでしたが、時間を作ってまた行きたいと思います。


【報告10】私は私の非暴力の対話を続けていく

 11月に高江特派員として、やんばる高江森の中に行ってきた。8月に続き2度目の高江入り。8日那覇泊、9日移動高江入り、11/10~13高江行動に参加。

 工事現場で防衛局のみなさん、警備員のみなさん、機動隊のみなさんが、工事作業員を全力で「防衛」しているところに、工事への直接抗議行動をしてきた。

 森の茂みの中から、工事現場の作業員に向けて、声をかける。

「アメリカ大統領、トランプになったから、米軍基地もヘリパッドもどうなるか、わかんないよ。トランプがどう出るのか、見極めるまで工事中止してもいいんじゃない?安倍内閣は、トランプリスクに備えてないよ。」

 と話しかけてみた。

また、ただ声をかけるだけでなく、きちんと抗議の根拠を示すこともした。

 現地では、防衛局と森林管理署の取り決め以上の太さの木も伐採されていた。伐採範囲の取り決め書類のコピーを森の中にも持参して違法伐採に抗議。森林管理署が許可したのは、胸高46㎝の木まで。

 実際は写真に撮ったように、80㎝越えの木も切っている。胸高だと根元より少し細いだろうけど、根元80~90㎝の木が、胸高で半分の細さになるはずもないだろう。

 森林管理 署との取り決めを守らずに、目の前でそれ以上の太さの木を切っている現場作業員がいるのに、そちらには注意、指導せずに抗議行動にきている私たちのほうばかり監視している防衛局員。

 100歩譲って、彼らにとって工事を進めることが任務であったとしても、適法範囲内に工事を進める現場監督責任はないのか。

 私は防衛局員に「貴方たちのお仕事として、46㎝以上の太さの木が切られていることを見逃していいんですか?」と訴え続けた。

 取り決め以上の太さの木も切られていることは、現場に行かなきゃわからない。現場に行って、抗議をし、また外に伝えていかないと、なかったことにされてしまう。

はるばる高江に行って私がやってきたことは、最前線の工事現場まで行って、抗議行動をすること。

 「そんなところに抗議しても意味ないよ」という意見が、色んな立場の人から出た。下っ端の現場の人間に何を言ってもムダだと。ただの自己満足だ、という声もあった。もちろん、基本的には選挙で議会内の議席配分を変え、沖縄の民意がくみとられるような社会情勢、政治的情況を作っていくことが大切だと思う。

 だから、私は今回の参院選は死にものぐるい奔走した。しかし、結果はギリギリで2/3以上の議席を与党に許してしまった。私は何も政権を民進党や共産党に任せればいいとは思っていない(民進党や共産党の人には悪いけど…)。現状の極右自民党ではなく、保守本流の自民党に任せておいたほうが、そつなくこなすだろうとさえ思う。

 でも、2/3以上議席を与党に許してしまうと、ろくに議論もせずに、数の論理で法案を通すことができてしまう。異なる2つ以上の意見をたたかわせて、よりよいものにお互い歩み寄る、という政治ができない状態なのだ。そんな状態は解消したほうが、政治的成熟度も高まると思うのに…

 やんばるの森は、1度壊されたら元に戻らない。沖縄では自民党が野党だ。基地はいらない、という住民の民意を無視し、説明もないまま、違法な工事は続けられている。残された道は実力行使で工事を遅らせていくことしかなかった。

私は警備員や、機動隊員や、防衛局員や、工事現場作業員の人々に

「私は貴方たちと対話しにきました。
抗議する市民から罵声を浴びせられて、いやな気持ちになっている人もいるでしょうね。
貴方たちはお仕事でいま、ここに立っているのでしょう。だから、私は貴方たちを責めるつもりはありません。職務に忠実に従っているだけでしょうから。
しかし、なぜこんなに反対する人間が、こんな工事現場に連日駆けつけているのか、立ち止まって考えてもらえないでしょうか。
このヘリパッドを作るために、ここにしかいない絶滅危惧種の動植物の生命が、危険にさらされていること。
ヘリパッドが完成されたら、低空飛行するオスプレイが、どこの空に飛んで、運ばれた武器が何に銃口を向けるのか。その標的の先には誰がいるのか。想像してみてください。
私たちと、貴方たちとは、立場が違います。考え方も違います。だけど、あなたにも大切な人が家で待っていたり、故郷にいたり、地元にいたりするのではありませんか?
大切な人との時間を奪われたくない、生命を大切にしたい、自然を大切にしたい、そういう思いは、共有できるのではないでしょうか?
命を大切にする、その1点では、私たちと繋がれるのではないでしょうか。
貴方たちの仕事の社会的意味、歴史的意味を立ち止まって考えてみてもらえないでしょうか。」

と語りかけた。

 すると、「お前たちは人殺しの手先だ!」というような非難するような声をかけられていたときとは違って、明らかに、その場に立っている機動隊員たちの表情が変わっていくのがわかった。機動隊員も防衛局員も人の子だ。日常的に荒々しい言葉を投げかけられていれば、「こいつらを弾圧してやれ」という気分にもなる。逆に、職務に忠実な機械的なところを超えた、人間的な心に訴えかけることができれば、ふと立ち止まって考えてくれるかもしれないし、座り込みする人を排除するときのやり方が、ふっと力が抜けて、丁寧になるかもしれない。職務を放棄することは難しいだろうけれど、選挙のときにいままでとは違った選択をしてくれるかもしれない。

 高江の運動は非暴力主義。それは言葉の暴力も含まれる。ウチナンチュが、止むに止まれず叫ぶ心の声ならともかく、本土からきた私たちのような立場の者は「するための運動」をしていては運動の共感も広がらないと思う。

 「北風と太陽」方式で、私は私の非暴力の対話を続けていく。